小学生の頃は、テレビドラマとかの影響でなりたいものが変わってた。
スチュワーデス(すでに死語?)だったりプロボウラーだったり。
漠然と看護婦さんにあこがれてもいた。
決めたのは中学の時。
父親が入院した。母親が病院で付き添っていたので、お昼にお弁当を届けるため
自転車で通ってた。
1度 途中で転んで、膝に擦り傷作って病院に行った。
それを見た看護婦さんが「消毒してあげるからおいで」って連れていかれた。
当時、消毒=オキシドールで沁みる!!って思った。
ところが、沁みない!!すごい!看護婦さんがやれば
消毒も沁みない!!
今考えれば沁みない消毒薬ってものがあるってわかるんだけどね。
で、看護婦さんに興味を持った。
もちろん、テレビや大好きな漫画にも影響されたんだけど(^-^;
高校受験の時に、すべり止めの私立は衛生看護科を受験しようかと
担任の先生に言ったら、
「お前は3年間行ってるうちに気が変わるから、普通科にしろ」って言われた。
(まあ、第1志望の公立は普通科だったんだけどね)
高校2年の時に、同級生でやっぱり看護婦志望の子がいた。
2人で色々調べた。
当時はまだ大学で看護学部があるところは千葉大学くらいしかなかった。
看護短期大学は3年制。専門学校も3年制。
専門学校は、入学金・授業料がかからないところも多かった。
しかも、寮があるところがほとんど。
で、受験日が重ならない愛知県と岐阜県と三重県で1校づつ受けた。
結果は、私は全部受かったけど、友人は愛知県だけ落ちちゃった。
繁華街からの距離と寮の門限の遅さで、
私は愛知県内の学校に決めた。
で、何とか卒業して看護婦になった。
子どもが好きだから、小児科で勤務したくて、
神奈川県立こども医療センターに就職。
(当時は今みたいに全国に子ども専門の病院は無かったし、
それ以外に横浜に来たい理由もあったしね)
こども医療センターの勤務はきつかった。
なにしろ大好きな子どもを目の前で亡くなる。
もちろん、元気になって退院していく子もいるし、楽しい事もあった。
11歳も年下の子にプロポーズされたり(^-^;
ただ、つらい事の方が多かった。
その頃、私は結婚したら専業主婦になろうと思っていた。
そう思って交際していた人もいた。
だから、やっとなった看護婦だけど4年ぐらいで辞めるつもりだった。
こども医療センターを2年で辞めて、日曜休みで夜勤もせいぜい夜中までだし、
お給料良いし(当時はね)ってことで、透析クリニックに就職した。
ところが、透析看護がすごく面白くなった。2年経ったときには辞めるなんて
頭の片隅にも無かった(結婚する予定の相手もいなくなってた)
そのうち、結婚もして子どもを産むときも産前6週・産後8週の休みだけ。
職場内に産後8週から預かってくれる託児所があったのも
良かったですね。
子ども3人産んで、順調に行ってたある日、症状が出た。
そして、
内服開始して約3ヶ月で検査との事で、24日に検査し、当日結果も聞きました。
左の後頭葉の視野をつかさどる部分の血流が著しく悪く梗塞を起こした。
側頭葉の方もみ右に比べると血流が悪いので、今後梗塞を起こす可能性もあるが、
すでに左は2本の血管をバイパスで使っており、他に良い血管は無い。
頭蓋骨に穴をあけて皮下の血管が脳に伸びて血流を補ったという症例はあるが、
確立されている治療法ではない。
希望があればやるが、見えるようにはもうならない。
見えるようにならない=もう看護師はできない。
(あ、今は看護師です。私の免許も看護師に換ってます)
看護師には戻れないんだ~~と思ったら、ちょっと泣けた(;_:)
でも、大丈夫!!
わたし、ケアマネってのも持ってるんです!
その仕事は今はしてないし、5年ごとに更新申請と更新のための研修も受けなくてはいけないから、もう更新しないつもりだった。
だけど、ケアマネならできるかもしれないし、研修を受けることにしました!
研修申し込みの期限は10月31日必着!!
間に合います!24日が受診で良かった~~!!
私たち2人とも強運の持ち主なんです(^_-)-☆
この強運で宝くじ大当たりにならないのが不思議です!